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皆様、お待たせ(?)です!
今回こそは岩倉生まれの武将「山内一豊」について
書きたいと思います。
時はまさに戦国、多くの武将たちが覇を争い、時代が大きく揺れ動く中で、
信長・秀吉・家康と主を代えながら、内助の功もあり、やがては土佐一国の
主まで登り詰めたのが山内一豊です。
一豊は、1545年(天文14年)に、岩倉城の家老但馬守盛豊の子として誕生しました。彼の出生地についてはふたつの説があります。ひとつは、当時父・盛豊が黒田城を預けられていたことから、現在の一宮市木曽川町とする説。そしてもうひとつが岩倉城のある、ここ岩倉市です。1919年2月、下本町にある神明生田神社の遷座式に一枚の棟札が発見されたことが一豊がここで誕生したことの有力な資料となり、この神社内に誕生碑が建てられました。
父・盛豊が仕えていた岩倉城は、尾張守護代として権力を握っていた織田氏の内紛により、1559年(永禄2年)、織田信長により落城しました。盛豊は武将として指揮していましたが、力尽きて城と運命を共にしました。一豊、15歳のときの出来事です。
彼は岩倉城落城の際、母や弟妹と共に夜陰の中、城から脱出しました。その後、家臣や縁故親せきにもかくまわれ、各地を転々と流寓し、ここ岩倉を離れていくことになりました・・・。
しかし、ただ生き残るだけでも大変だったこの群雄割拠する時代に、大功をなした山内一豊は郷土の人にとって誇りともいえる存在ではないでしょうか。
現在、岩倉市の図書館では「第11回民族資料企画展」として「戦国武将 山内一豊と千代のパネル展」を開催しています。パネルだけではなく、昔使用していた器具なども一緒に展示されています。夏のしばしの間、戦国のロマンに浸ってみてはいかがでしょうか?
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